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昨年までの情報

晩秋の一日、バスツアー(2014年11月28日)

11月12日(水曜日)、東京都盲人福祉協会(都盲協)のヘルパーステーション「TOMO」主催の日帰りバスツアー「晩秋の一日・無人島の猿島を見学し、出来たての生ビールを飲もう」に参加して、猿島に行き、キリンビール生麦工場を見学した。

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私は生麦駅で皆さんから離れて途中下車し、高輪ライオンズクラブ例会に参加するため品川に向かった。「40周年記念式典」の準備だが、設立以来の会員が二人しかいないので、その一人として「40年の想い出」をスピーチした。

猿島への旅行については、参加した三鷹支部長の金川勝夫さんから詳しい感想メールが届いた。音声読み上げソフトでの閲覧を配慮した若干の整理はしたが、そのまま紹介したい。


旅程

新宿駅西口スバルビル前(8時出発)、三笠公園乗船場(9時30分着・9時30分猿島行きフェリー乗船)、9時45分〜10時45分猿島島内見学、猿島桟橋(11時発)、三笠公園乗船場(11時10分着)→三笠公園ポートマーケット(11時20分〜11時40分買い物自由行動)、バス移動、キリンビアビレッジ「ビアポート」(バーベキュー昼食タイム12時40分〜13時50分、キリンビール工場見学(14時〜15時30分)、新宿駅西口スバルビル前(17時到着)、解散。

旅行メモ

居宅事業所「TOMO」が主催するブラインダーとガイドヘルパーとが、共に楽しもうというバスハイクイベントは、第1回目7月の「甲州路桃狩りの集い」が、好評だったので、引き続き第2回目として、11月12日「無人島の猿島見学とキリン横浜工場見学バスハイク」として、実施される運びとなった。

参加者の日頃の行ないが良いせいか。それとも私、晴れ男が参加するためか。前日の11日は昼から夜にかけて、雨が降っており、その雨が翌、12日の朝まで持ち越し、私が自宅を出るときには、まだ小雨がパラついていたが、新宿駅へ着いたときには、曇り空となり、どうやらひとまず雨の心配は無くなり先ずは一安心だ。しかしながら早朝、新大久保の駅で人身事故があり、それに伴い電車が遅れてしまいそのため、参加者の中には、集合時間8時に間に合わないのではと懸念する方々も有ったのでは無いでしょうか。

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それでもバスは、出発予定時間の8時を少々遅れただけで、出発することができ何よりだ。バス車内は44の座席は全部参加者が締め、3席の補助席にTOMOの職員が座るという言わば満員御礼の盛況ぶりだ。TOMOの事務局長Yさんが挨拶をし、次いでKさん、そしてNさんらが、今日の日程等の説明があり、そして一言自己紹介が、参加者全員によって成された。その自己紹介を聞き、Oさん、Mさん、Hさんと結構、知人の方々がいるのに少々驚いてしまった。

バス車内は、ブラインダーとガイドヘルパーの和やかに談笑する光景が見られとても良い雰囲気だ。私の隣席のAさんというガイドヘルパーは、やや渋滞し首都高速をゆっくりと進む車窓を指さし、手にしたスマフォの画面を見ながら「あれが東京タワーよ」「あれがホテルニュー大谷よ」と事細かく説明してくれる。視覚障がい者としては、風景描写をしてくれるので、多いに社会見学としても勉強になり、その気配りの良さに改めて感心してしまった。

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持参した缶酎ハイを飲み終えた頃、グッドタイミングで、三笠公園乗船場へ到着した。ここから猿島フェリーへ乗船し、無人島の猿島へ渡るのだ。桟橋には既に赤い帽子をかぶり、赤いウィンドーブレーカーを着た4名のボランティアガイドが、待期しており、猿島見学の再に説明をしてくれるとのことだ。フェリーは、私達TOMOのご一行様で、貸し切りで、ガイドと私は、フェリーの最上階へ行き潮風を身体に受け、段々と近づいてくる猿島へ目をやる。近づくにつれて猿島が全貌出来、改めて小島ということを再認識する。そしてフェリーへ乗船したと思ったらすぐに10分足らずで下船しこれから4班に分かれて島内散策へと歩を進めた。

そして歩きながら男性ボランティアガイドのFさんが、私達のために懇切丁寧に猿島の説明をしてくれる。そのご厚意に敬服するばかりだ。その猿島の説明を要約してみると以下の如くだ。

猿島公園
 所在地 神奈川県横須賀市猿島、分類 都市公園(歴史公園)、面積 5.1ヘクタール、運営者 横須賀市、周囲 約1.6km、標高 最高39.3m、交通 三笠桟橋(三笠公園内)より船で10分。船は、3月〜11月は毎日運航、12月〜2月は土日祝日のみ運航。三笠桟橋まで、京急本線横須賀中央駅より徒歩15分、JR横須賀線横須賀駅より徒歩30分。横須賀市平成町より北東へ約1.15km、三笠公園(戦艦三笠保存地)東方約1.75kmの沖合に浮かぶ。
 猿島は、東京湾に浮かぶ無人島であり、湾内最大の自然島である。住所は、神奈川県横須賀市猿島。島内の大半を猿島公園として、横須賀市が整備している。京急本線横須賀中央駅から徒歩と船で約30分という立地ながら、海水浴、バーベキュー、釣り、散策などのレジャーに適する無人の自然島。島内からは縄文時代の土器や弥生時代の土器・人骨が出土し、また日蓮上人にまつわる伝説が残るなど、古くから人々に親しまれた島である。
 幕末から第二次世界大戦前にかけては、東京湾の首都防衛拠点となる。幕末の1847年(弘化4年)に江戸幕府により国内初の台場が築造され、明治時代に入ると陸軍省・海軍省の所管となり、東京湾要塞の猿島砲台が築造された。実際に本施設が実戦に用いられたことはないが、島内の岩壁を掘って煉瓦で覆われた要塞跡は現在も残り、日本では数少ないフランドル積みが見られる。
 第二次世界大戦後は1961年(昭和36年)までの間は連合国の1国であるアメリカ軍に接収される。その間にも1947年(昭和22年)に渡船の運航が開始、1957年(昭和32年)には海水浴場が開かれる。その後1993年(平成5年)に海水浴場は閉鎖、航路も廃止され立ち入り禁止とされる。
 1995年(平成7年)、横須賀市が大蔵省から管理委託を受けて散策路等を整備し、航路も再開、翌1996年(平成8年)には海水浴場も再開された。2003年(平成15年)、横須賀市が国から猿島の無償譲与を受け、「猿島公園」として整備した。
 映画『天空の城ラピュタ』を連想させるとして人気を集めており、『仮面ライダー』の撮影に使われショッカーの基地があることでも知られている。2013年度の入島者は約11万人と2003年度の1.7倍に増えており、横須賀市では2015年4月から入園料を徴収して島の整備を行なう予定である。
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何しろ時間に制限が有るので、慌ただしく猿島見学を終了し、再びフェリーへ乗船して、三笠桟橋へ到着し、三笠公園ポートマーケットにて、買い物タイムとなる。私は大枚2,000円を支払いマグロの大トロ、赤身をお土産に買い求めた。見ると皆さんそれぞれにお土産の袋をぶら下げており、特に女性は、旅行の一つの楽しみはこうして買い物をすることであろうか。

そしてバスは小一時間、横須賀の緑の丘陵地を走り、やがて第2の目的地である「キリンビール横浜工場」へ到着した。そしてキリンビアビレッジ「ビアポート」で、バーベキューでの昼食タイムとなる。ガイドのAさんが、軽妙の手さばきで、肉や野菜類を鉄板に載せ丁度良い焼き加減で、私のお皿に取り分けてくれた。私はそれをオツマミにしながら冷えた生ビールをグググイッと飲み干す。「ヒャア、ウンメイヤー、タマリマヘンナ。!」丁度お腹も空いていたので、その生ビールが五臓六腑を駆け巡り、当に至福のひと時だ。

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そんな昼食タイムを終え、今度はイヨイヨ、キリンビール工場見学だ。私は過去、サントリービール分倍河原工場へ3回、去年の12月にアサヒビール守谷工場見学へ一度と訪れているが、正直、ビールができるまでの説明はどうでも良くて、最後の出来たて生ビールの試飲が目当てで、この出来たて生ビールを飲んだら病みつきになり、そのその味が忘れられずついつい仲間達とビール工場見学プランを立て楽しんでいる。

先ずはキリンビューティーレディーに導かれビールができるまでの行程に従い随時レクチャーを受ける。そして一番搾りと二番絞りの麦汁の飲み比べをする。やはり、一番搾りの麦汁の方が甘みが濃かった。それとキリンビール工場で開発された瓶ビールとそれ以前の瓶ビールをそれぞれ私達に持たせ比較させた。やはり、開発された瓶ビールの方が手触りも滑らかで、重さも軽かった。それから瓶ビールの王冠のギザギザが幾つあるかというクイズが、キリンビューティーレディーから出された。その数はどのビールメーカーも同じで21だそうである。今度しっかりと数えてみよう。

 そんなキリンビューティーレディーからのレクチャーも終了となり、「ハイ、お待たせしました。これからイヨイヨ出来たて生ビールの試飲だ。ルンルンルルルン」。そのビールの種類は以下の通りだ。

キリン一番搾り生ビール
「麦100%×一番搾り製法」で、すっきりしているのに、うま味も充分なおいしさ。
一番搾りスタウト
黒らしいコクと香りと、飲みやすさを併せ持った新しい黒ビール。
キリンラガービール
ホップをきかせた、ビールならではの、のどにグッとくる刺激感とコク・飲みごたえのある味。
キリンブラウマイスター
芳しいホップの香り、きめ細かな泡、舌に広がる濃い旨み。
ハートランドビール
アロマホップ100%の澄んだ香味と素直な味わい。
ハーフ&ハーフ
キリン一番搾り生ビールと一番搾り スタウトの1対1。
横浜工場オリジナルビール スプリングバレー
キリンビール伝統の豊かなコクと締りある苦味、すっきりとした飲み口の麦芽100%ビール。
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そんな出来たて生ビールの試飲は一人3杯までだそうで、それぞれの出来たて生ビールをガイドのAさんと共にキリンビューティーレディーから頂それを飲む。ゴクゴクゴク「イヤー、この喉ごし、ヤハリ、最高の味デンナ。」すっかりとガイドのAさんの3杯の権利まで私に譲渡して頂き結果、そんな出来たて生ビールを6杯も飲んでしまった。これでは帰りのバスが気になるが、TOMOのNさんに途中トイレ休憩を頼んでおいたので、マア、大丈夫であろう。

帰りのバスでは、参加者が、それぞれ今回の「猿島・キリン横浜工場見学」の「TOMOバスハイク」の感想を述べた。やはり、猿島での散策時間が少なかったことが、物足りなかったという方々が多かったようだ。私は今回2回目の「TOMOバスハイク」へ参加してみたが、こうして、事業所ブラインダーとガイドヘルパーが、三者三様、同行援護サービスという制度を仲立ちとして、共に日帰りバスハイクを楽しむ姿に深く共鳴を受けた。これからもこのような企画をドンドンと取り入れ色々な所へと一緒に歩みたいものである。

最後にバスハイクを企画した、TOMOの職員スタッフ一同のご尽力に感謝御礼をし、駄文なる「TOMOバスハイク イベントレポート」をエンディングとします。

参考文献 猿島名所案内

海軍港碑
明治10年(1877)明治政府は、西北の夏島から東南の猿島までを海軍港に指定した。明治10年猿島は海軍省の所管となりました。この石碑はそのときに建てられたものと思われます。裏に明治10年とかかれています。元は砂浜の船着場にあって、猿島最古の石造建造物です。
電気灯機台(発電所)
明治28年に竣工。煉瓦積みで屋根は木造。当時は蒸気機関を勁かして発電していました。煉瓦積みの煙突は大正時代まで発電機に石炭を使っていたからです。地下に水夕ンクがあって探照灯用発電のための貯水で12時間発電可能な水量を確保していました。
電撹配線施設
素掘り切通しの埋設土管・ハンドホール・電続配管穴・配線用鉄製フック。
切通・切通壁
切通しは、もと幕末に掘られたものを明治になって陸軍が手を加えた。切通擁壁は凝灰岩の切石を用いた見事な石積み(ブラフ積み)です。右側切通しの壁面に沿って兵舎と弾薬庫が並んでおり入り口が見られる。弾薬庫の上に砲台が設置されていた。

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