小柴恭男ホームページ

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昨年までの情報

大阪と南紀白浜、忙しい楽しい2日間の旅でした(2019年11月23日)

 11月23日(土曜日・勤労感謝の日)、6時51分 品川発ののぞみで新大阪に一人で向かった。目黒駅に6時20分には到着したが、品川駅のJR東日本とJR東海との駅係員の障害者誘導の引き継ぎ等に手間がかかり、山手線の品川到着は発車7分前。駅員さんと一緒に階段を駆け上がり、長い連絡口を走ってJR東海の改札駅に着いたときは発車3分前。所定の乗車口に着いた時にはちょうど電車が入ってくるというあわただしいスタートだった。
 大阪の桜橋口でボランティアガイドの立馬(たつうま)さんとお会いし、クローバー主催の視覚障害者の交流会の会場に着いたのは開会(10時半)の3分前!入口にて、3色ある所定の色のビブス(ゼッケン)を着用する。ビブスには視覚障害者という文字と番号が大きく印刷されていてわかりやすい。参加者約60名が東京からは3人参加した。NPO法人クローバーの中川会長のご挨拶のあと、お骨折りを頂いている左藤章(さとうあきら)衆議院議員や盲導犬を連れてきた全盲の落語家の桂福点氏のご挨拶があった。

写真1
写真1:クローバー交流会の会場
大阪市西区肥後橋にある玉水記念館の入り口の案内看板
「玉水記念館」
写真2
写真2:会場全体の後ろからの写真
総勢62名の参加者でした。
写真3
写真3:中川会長のご挨拶。右端に小柴が座っています。
写真4
写真4:落語家の桂文太さんの挨拶。
「噺家(はなしか)で良かったとおもてまんねん。
パイロットやったら、どこに着陸するかわかりまへんで。
外科医やってみなはれ、どこ切るかわかりまへんで。」
と話すと会場には、どっと笑いが。
文太さんは、50歳ごろに失明。今も元気に高座に上がられています。

 続いてゲームに入り、班別に分かれて中川会長の工夫された、@金魚釣り Aボール当てゲーム B吹き戻し(淡路島特製)でペーパーロールの上の人形を倒すゲームを行い、得点数が高い者から商品が渡された。私は16位で「ピヨピヨバード」というものを頂いた。この小鳥は音や振動に反応してかわいいさえずりを聞かせてくれる。

写真5
写真5:オープンデッキに置かれた瓢箪池と称した
子供用の大きなビニールプール。中には作り物の金魚や、
スーパーボール、アヒル、イルカなどがいっぱい泳いでいます。
写真6
写真6:金魚すくい。ザルには、金魚やスーパーボール、ハートまで。
いっぱい、すくえています。
写真7
写真7:金魚すくいのポイは、紙ではなく、
ネットが張られてあるので、破れる事はありません。
写真8
写真8:YMCAの学生ボランティアも、アイマスクを付けて
金魚すくいに挑戦しました。みんな楽しそうです。
写真9
写真9:中川会長がゲームの結果発表をしています。
小柴が贈呈した薄緑色のTシャツを着ています。
背中にはクローバーの絵が描かれ、
上部にはマイ・プレジャーと書かれています。

ピヨピヨバードの動画

写真10
写真10:ピヨピヨバードの写真。
黄緑・オレンジ・青の鮮やかな色彩の小鳥です。

 あったかいたこ焼きとビールを飲み、3種類から選べる心づくしのお弁当を食べ、その後視覚障害者一人一人の自己紹介を行った。中川会長がそれぞれの方の補足説明をしてくださったので、わかりやすかった、そのあと専属の視覚障害者バンド「スーパービッグフェイス」の杉本さん、神吉さん、中野さんの演奏に合わせて「上を向いて歩こう」、「お富さん」、「思い出の渚」等……を歌った。また晴眼者のソプラノ歌手の石川さんが皆が歌う際の声出しも務めてくださった。

写真11
写真11:小柴による自己紹介の挨拶。オレンジ色のビブス(ゼッケン)を着ています。
写真12
写真12:昼食後は、視覚障がい者のバンド、スーパービッグ フェイスの演奏会。
みんなで歌い楽しみました。
リードボーカルは、声楽家の石川昭子さんです。

 終演時間が午後3時だったが、「くろしお」の時間に遅れるといけないので終演15分前に席を立ち、ガイドの松田さんの手引きで電車を乗り継いで天王寺駅についた。少し時間があったので隣接しているハルカスの16階まで上がった東西南北四方の山々を説明してもらった。東の生駒山ほか説明があったが、かなしいかな全盲なので悔しかった。
 午後5時30分、南紀白浜駅到着。先に降りた団体客がまっさきにタクシーを利用したので駅員さんの世話になって10分後に駅をスタート、三楽荘に午後6時に着いた。フロントの人は親切で車いすを用意してくれたが、足は丈夫なのでそのまま歩いて家族と合流した。宴会は午後7時からなので、一息する暇もなくあわてて部屋の露天風呂に入る。家族は円月島の夕日が良く見えたとの話で持ちきりだった。

写真13
写真13:円月島の海蝕洞に夕日がすっぽりとおさまる美しい風景。

 円月島とは、白浜のシンボルとして親しまれている島で、正式には「高嶋」(たかしま)といい、臨海浦の南海上に浮かぶ南北130メートル、東西35メートル、高さ25メートルの小島で、島の中央に円月形の海蝕洞がぽっかり空いていることから「円月島」と呼ばれ親しまれているそうだ。円月島に沈む夕陽は「日本の夕陽100選」に選ばれており、陽の沈む夕景の美しさは格別で、夏は6時30分頃、冬は4時30分頃とのこと。この日も周りはカメラを構えた人でいっぱいだったそうで、その中には私の妻と息子の姿もあった。
 夕食は、6時半ごろから料理を並べ始めてくれて、固形燃料付の卓上コンロが一人一つずつ並べられたのは驚いた。それぞれ釜飯用、湯豆腐用、焼き魚用、すき焼き用などがあり、他の料理もたっぷり堪能した。ビールと日本酒で完全にでき上がり、酔いと早起きの疲れで9時半にはベッドに入ってしまった。
 ビールのコースターを一枚もらってきた。描かれている絵は、木の枝で出来たリースのような形の時計で、1・2・3のところだけ文字盤の数字がある。時計の針は柔らかくカーブしていて、Sの字をかたどっている。これは宿泊した「三楽荘」のシンボルマークなのだが、この絵の1・2・3は何を表しているかお分かりだろうか。

写真14
写真14:コースターの写真。

 翌朝の朝食後、チェックアウトからバスが来るまで20分あったので、白良浜を歩きながら駅に向かって歩く。途中コンビニがあったのでこのあたりがバス停かと思い浜から上がってみたところ、ちょうど名勝白良浜の看板があったのでここで写真を撮った。

看板の内容

町指定文化財 名勝 白良浜
「雪のいろにおなじ しららのはま ちどりこゑさへさゆる あけぼののそら」
寂念法師(じゃくねんほうし)
夫木和歌抄(ぶぼくわかしょう) 巻第十七冬部二より

白良浜は白浜半島の西側にあり、御船山から湯崎の方向へ北から南に汀線600メートルあまりで、遠浅の砂浜になっています。この浜の砂は、珪砂砂岩(変質水成岩)が、波などによってこわれ、石英(水晶)の含有量が90%以上になった、雪のように白く明るい白砂です。そのため平安時代から室町時代にかけて歌枕として数多くの歌の中に読みこまれています。また、昔より月の名所としても知られ、まさに白良浜は白浜を代表する名勝のひとつです。

写真15
写真15:白良浜の看板の写真。
写真16
写真16:白良浜をバックに小柴がひとりで写っている。

 ここで時計を見たらバスの時間まで3分しかなかったので、みんなでバス停まで走った。駅に着く前のバス停でほとんどの人が降りる。そこは「とれとれ市場」という場所だそうで、つられて降りてみた。すごく大きな海産物の市場で、広大な駐車場があり、いろいろな海産物などが売られていた。
 次のバスまで15分しかないので、適当にお土産を買って、またバス停まで走る!バス停では降りる人が多かったので、何とか間に合いバスに乗ることができた。駅に着くと、列車到着の3分前であったエレベーターに乗り、慌ててホームに駆け込む。
 藤波駅で途中下車をし、駅前の観光案内で有田みかんのお店を勧めてもらい、林農園さんへ向かうことにした。タクシーが来るのを待つ間に、朝食に出たご当地名産の湯浅醤油と金山寺味噌を買った。
 林農園でいろいろな有田のみかんを食べたがうまかった。小粒の方が甘く、大粒の方がやや酸っぱかった。おなかいっぱい食べて、お土産に友人にみかんを発送してもらった。

写真17
写真17:みかん山での家族の写真。
うしろにはみかんが鈴なりになっている。
写真18
写真18:みかん山での娘とのツーショット。

 近くの食堂で列車の中で食べようとお弁当を買い、タクシーを呼んだが、みかんの箱詰めと宛名書きに手間取り、列車の発車時間7分前にタクシーに乗った。くろしお号に間に合うか微妙と言われたが、乗れないと新大阪から東京に帰る新幹線に乗れないので、必死で走りぎりぎりで列車に間に合った。
 新大阪から品川までの新幹線も往復とも大変混んでいて、自由席もいっぱいでデッキまで人があふれていた。前日3食、当日朝昼としっかり食べたので、夕食は品川の駅ナカで軽くうどんで済ませた。季節外れの暑さで温かいうどんを食べたら汗をいっぱいかいてしまった。

 さきほどの、正解は、
   1は 湯 良し、
   2は 味 良し、
   3は 眺め 良し とのことだ。
 確かに目の前が海で、部屋の景色はとてもよかった。

写真19
写真19:コースターの裏側 答えが書いてある。

 想い出の多い白良浜温泉は52年ぶりで、感慨もあらたまった。
 品川駅でタクシーを待っている間に、アドベンチャーワールドの職員と知り合い、パンダが6頭いるということを聞き、急に行きたくなった。タクシーに乗るまで親切にして頂き、感無量だった。


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