小柴恭男
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久しぶりに高輪区民ホールにてビッグバンドを聴く

 2023年9月23日(土曜日)午後2時から高輪区民ホールでの「第23回みなとほほえみコンサート♪シーサイド・ブリーズ・ジャズコンサート♪」に参加しました。
 会場には200名ほど60歳以上の方が待機しておりました。私は一列目の右端の関係者席を用意して頂きました。武井雅昭港区長の御挨拶の後、曲目の演奏が始まった。ビッグバンドの数々の演奏が開始されました。曲目は次の通りです。

  1. インザムード
  2. ムーン・リバー
  3. 思い出のサンフランシスコ
  4. 慕情
  5. 恋人よ我に帰れ
  6. ブルームーン
  7. テネシーワルツ
  8. マイ・ウェイ
  9. A列車で行こう
  10. 酒とバラの日々
  11. 明るい表通りで
  12. スターダスト
  13. Are you remember
  14. 明日があるさ
  15. この素晴らしき世界
  16. セレソ・ローサ 等

 あらかじめ希望する曲と、そのエピソードを伝えていた。私の希望したグレンミラーの「インザムード」が最初に演奏された。(私は20年程前に高輪プリンスホテルでの御祝の席で奥田宗宏さんのビッグバンドを呼び演奏してもらった思い出があるからです。この曲は途中で休止符がしばらく続きます。それに気づかず一緒に踊った女性と離れてしまい席に戻ってしまった。曲が再開されその女性をもう一度誘い皆さんが大拍手をしてくれ恥ずかしくなった。そんな思い出があります。)奥田宗宏さんは私のパーティに2度ご招待していると思う。多分その時だと思うがおめでたいということで真っ赤なベストで指揮を取っていたように記憶している。1〜2ヶ月後に奥田宗宏さんが急死したと奥様まさこ夫人から聞き、彼の最後の演奏になったと伺い感無量だった。
 宗宏ジュニアとは何度か演奏して頂いたが今回の演奏会の堤さん(サックス奏者と司会)によると、「宗宏ジュニアは私達の仲間で良く伝えておきます」と言ってくれた。次の私のパーティにもジュニアをお呼びしたい。

 高輪区民ホールは昨年内装が一新された。演奏終了後、区民ホールロビーにて、健康診断の一環として血管測定診断を受けた。検査の結果は写真のとおり血管年齢82歳となっていた。(実際は92歳)もし20年若く72歳と言われたら新しいロマンスが生まれるかも……?! 気分を良くして帰り道はバスで帰ろうと思ったが、やや登り坂の桜田通りを歩いて自宅まで帰った。
 高輪消防署、覚林寺(加藤清正公のお墓)清正公前、明治学院、大久保だんご、とやや上り坂をガイドさんと元気に歩いた。家に帰って缶ビールを1本飲んで美味しかった。

写真1
写真1:演奏前のステージ。
写真2
写真2:みなとほほえみコンサートのパンフレット表側。
トランペットとサックスの絵が描かれています。
写真3
写真3:みなとほほえみコンサートのパンフレット裏側。
ゲストとバンドの紹介文が書かれています。
写真4
写真4:血管測定診断の結果画面。
血管年齢は82歳と書かれています。
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妻の誕生日祝い

 2023年9月17日(日曜日)午後5時から妻の誕生日祝いで、にんべんの経営している「日本橋だし場はなれ」に家族と妻の妹二人を呼んで夕食を共にした。

写真
写真:「日本橋だし場はなれ」にて記念撮影。
テーブル左側、長男の智延、筆者、長女の裕子、
右側が妻の淑子と妻の妹二人。
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どうにも止まらない暑さですね

 盛岡なら涼しいと思って二ヶ月前に予約しましたが、暑さは大変でした。

一日目(8月14日)
 東京発の東北新幹線で盛岡駅に午後到着
 駅前で観光タクシーに乗り盛岡市内の県庁や市役所を見て三石神社に到着。鬼が悪さをして謝るときに岩に手形をつけて以降鬼は来なくなったとの神話がありそれが岩手県の名前のいわれだとのこと。知らなかった。
 宿泊は盛岡つなぎ温泉 湯守 ホテル大観にとまった。部屋に露天風呂があり、目の前は大きな人造湖である御所湖があった。宿は窓が大きく、夜空は満点の星のようだった。風呂も露天風呂でゆっくりした。
 夜は近くの旅館でさんさ踊りを見学した。勇壮な太鼓踊りで楽しかった。

二日目(8月15日)
 御所湖を横断する歩行者が誰もいない約1キロメートルの日陰も全くない繋大橋を歩いて渡り、繋地区からバスに乗り近くの物産展を見学した。そこで盛岡名物の盛岡冷麺とアイスを食べたら身体がやっと冷えた。
 帰りはタクシーで旅館まで帰ったが、運転手さんが言うには「この長い橋を歩いていたのはあなたたちだけでしたね」と言われたのには唖然とした。今年の夏の暑さは異常です。

三日目(8月16日)
 330年生きたと言われる武内宿禰 (たけのうちのすくね)と神功皇后(じんぐうこうごう)のお墓を見て、石川啄木の新婚の家を訪ねた。部屋の奥にある掛け軸もタクシーの運転手さんに写真を撮ってもらった。
 「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」

 帰りに盛岡駅で二つ目の盛岡名物じゃじゃ麺を食べたが、約2時間待たされた。
 食べ終わったら新幹線発車15分前だったのでヒヤヒヤした。

写真1
写真1:盛岡市内の岩手銀行赤レンガ館前にて。
左が妻の淑子、右が筆者。
写真2
写真2:三石神社の鬼の手形の前にて、筆者。
ふたつの岩にしめ縄が掛けられています。


三ツ石と鬼の手形

 伝説によると昔この地方に羅刹という鬼が住んでいて付近の住民をなやまし旅人をおどしていました。そこで人々は三ツ石の神にお祈りをして鬼を捕らえてもらい境内にある巨大な三ツ石に縛りつけました。鬼は二度と悪さをしないし、又二度とこの地方にはやってこないことを誓ったので約束のしるしとして三ツ石に手形を押させて逃がしてやりました。
 この岩に手形を押したことが「岩手」の県名の起源といわれ、又鬼が再びこないことを誓ったのでこの地方を「不来方(こずかた)」と呼ぶようになったと伝えられています。
 鬼の退散を喜んだ住民達は幾日も踊り、神さまに感謝のまごころを捧げました。この踊りが「さんさ踊り」の起源といわれています。

写真3
写真3:盛岡つなぎ温泉 湯守 ホテル大観にて、浴衣姿の筆者。
テーブルの上には夕食の鍋が置かれています。
写真4
写真4:啄木の新婚の家と書かれた案内図。
地図に歌碑の位置が記されています。
写真5
写真5:啄木の新婚の家の見取り図。
12時方向の四畳半には「啄木が新婚生活を送った室」、
10時方向の八畳には「一禎、カツ子、光子が住んだ室
 啄木が結婚式を挙げた室」と書かれています。
写真6
写真6:啄木の新婚の家の縁側にて記念撮影。
左から長女の裕子、妻の淑子、筆者。


啄木新婚の家

 詩人石川啄木は、明治38年(1905年)5月、東京で処女詩集「あこがれ」を出版しそれをみやげに帰郷の途についたが、金策の必要から途中仙台に下車して土井晩翠をその居に訪ねた。仙台医学専門学校には郷友、猪狩見竜、小林茂雄らが在学中で、彼らと遊んで滞在すること10日およんだ。その間、盛岡市帷子小路八番戸の借家には月末の30日に結婚式を挙げるべく婚約者の堀合節子がその帰宅を待ちわびていた。しかし啄木は遂に姿を見せなかった。そこでその夜級友上野広一(画家)の媒酌で珍妙な「花婿のいない結婚式」がおこなわれた、それがこの家である。仙台をたった啄木は盛岡駅を素通りして渋民に行き、ようやくこの家に顔を見せたのは6月4日だった。ここではじめて新婚の夫婦と両親、妹光子の5人が揃って家庭をもったのである。時に啄木は20歳。この家で稿を起こした随筆「閑天地」は連日、岩手日報の紙上をにぎわし、「我が四畳半」はよく新婚の夢あたたかな情景を描いている。ほかに「妹よ」、「明滅」、「この心」の作がある。
 啄木一家がここに在ること3週間、6月25日には中津川のほとり加賀野磧町四番戸に転居した。
 現在、盛岡市内の啄木遺跡といえるのは、「啄木新婚の家」だけである。

写真7
写真7:部屋の奥にあった掛け軸。
「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」
と書かれています。
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今年の夏は異常です

 7月のアキレスの練習会は2回参加しましたが、毎日34℃の暑さが続いて早々に退散しました。足が進まないのです。91歳には辛いので、8月は2回とも欠席しました。異常気象ですね。私も長い人生で経験がありません。ダンスもウクレレもお休みしています、川柳も8月は中止にしました。
 少し涼しくなりましたが、まだまだ日中は暑いです。
 おかげさまで今のところ”しばらく”元気です。

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中秋の演奏会と社交ダンス 〜中秋の午後を一緒に楽しみませんか〜 (芹洋子さんが特別出演)

 2023年9月30日(土曜日)、麻布区民センター区民ホールにて『中秋の演奏会と社交ダンス』を開催します。
 詳しくはイベントに来てねをご覧ください。
 ※7月7日、プログラムの変更にあわせて一部加筆修正を行いました。

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端唄のお浚い会に参加

 2023年6月18日(日曜日)、港区立伝統文化交流館にて「港区で共に楽しむ会」と共催で新水流のお浚い会を行った。
 私 小柴は第一部後半で出演したが。練習不足で一部間違ってしまい恥ずかしい限りだ。
 曲目は、@三階節、A四季の唄。目が見えないので歌詞を暗記するのが大変だった。

写真1
写真1:スーツを着た小柴が立って端唄をうたっています。
写真2
写真2:当日のパンフレット。表紙には
「令和五年水無月 新水流 お浚い会」
と書かれています。

動画1:小柴が出演している様子。

動画2:小柴が出演している様子。
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亡き母の法事

 2023年6月17日(土曜日)、午後3時より港区高輪の菩提寺の 来迎山 道往寺(らいごうざん どうおうじ)にて、亡き母、小柴ひさ 戒名 (寂光院薫譽香林妙久大姉)の23回忌法要を行った。
 母の大好きな曲 大津美子の「ここに幸あり」を弟、慧次郎と私のウクレレ演奏で出席者全員で本堂で歌った。
 ♪「嵐も吹けば 雨も降る 女の道よ なぜ険し 君を頼りに 私は生きる ここに幸あり 青い空」♪

写真
写真:集まった親族一同で集合写真。
前列左から 弟の慧次郎、遺影を抱えた筆者、妻の淑子。
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夏が近づくと、あっという間に狭い庭がゴチャゴチャになります

 いよいよ明日から6月。梅雨入りが間近。大型台風2号が沖縄辺りでウロウロしています。ささやかな庭の夏ミカンが初めて小さな実を結びました。昨年迄たくさん花が咲いたのですが実がならず、やっとの事です。
 レモンも小さな実をつけました。アジサイが咲き誇り、クチナシも良い香りでした。25年前に植えたモミジが大木になり枯れてきたので植木屋さんに切り取ってもらいました。すぐそばにいくつかの新しいモミジの苗が育っていました。2か所に15枚位、葉がはえていました。老木の種が苗になり世代交代ですね。
 梅の実を全部取り、一部をバケツに入れて写真に収めました。1月の末に花が咲き4カ月で実がなり、植物の成長はすごいですね。植木屋さんが入り少し庭が明るくなりました。キンモクセイが夏ミカンの日陰になるので思い切って枝を落としました。手入れをしないとダメですね。

写真1
写真1:クチナシの白い花が咲いています。
写真2
写真2:レモンの木に小さな実がついています。
写真3
写真3:青色のアジサイの花が咲いています。
写真4
写真4:はじめての夏ミカンの小さな実。
写真5
写真5:白いバケツに入れた梅の実。40個以上あります。
写真6
写真6:モミジの苗も育ってきました。15枚ほど葉っぱが生えています。
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久しぶりに歌声喫茶に行きました♪

 5月30日(火曜日)、夕方から歌声喫茶に行きました。高田馬場駅の早稲田口から日本点字図書館のほうに坂を上がって、薬屋さんの先の小学校を曲がったところの1階に、昔懐かしい新宿にあった「ともしび」のお店に行きました。お世話になっている業界団体の会長さんから無料でご招待をいただいた。食事や飲み物も無料でご提供いただいた。50人位のお客さんがいて、昔懐かしい歌を次から次へと演奏してくれ、皆で楽しく歌いました。最高齢者は95歳で。私は91歳で2番目でした。
 5割以上の方は女性で皆さん綺麗な声で歌われていました。お顔が見えなくて残念ですがきっと綺麗でしょう。高田馬場まで友達に送ってもらい目黒からタクシーで一人で自宅に帰りました。楽しいひと時でした。ダンスパーティのすぐあとだったので疲れました。

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三田障害者福祉会館でささやかなブラインドダンスパーティー

 5月27日(土曜日)13時20分から16時30分まで。前日までの雨模様と寒さがうそのように天候に恵まれ、幸先の良いダンスパーティが開催できた。会費は無料でした。
 会場が狭いのでB1、B2の二部屋をぶち抜いて使用した。あらかじめ参加者の人数をしぼり、楽団も呼べなかった。いつもダンスメイトでお世話になる鈴木・山口・宇野さんのお骨折りで机を移動して頂き少しだけ部屋が広くなった。初参加の藤平さんにもお手伝いして頂いた。

 斉藤・村上さんのお嬢さんのお骨折りでCDのアレンジ、演奏まで行った。
 最初に途中休憩を含め、延べ1時間のダンスタイム。全員汗だくで疲れるほど楽しく踊った。
 休憩時間には暑いので最中アイスを皆で食べひと休み。

 続いて初めての試みとして5人の視覚障害者の方々にピアノの生演奏で歌って頂き楽しく踊れた。
 4名の方のピアノの伴奏は港区ボランティア団体の住野アス香先生で、最後の高木さんの伴奏はガイドの中村さんだった。
 そのあと港区ボランティア団体「アンシェル・ヴィヴィエンダ(天使の住まい)」の住野アス香先生、クラリネットの加藤晋哉先生に、エルガー「愛の挨拶」、カザルス「鳥の歌」を演奏して頂いた。聞いたことのある曲で懐かしく楽しい曲だった。

 ダンスは第二部に入り、CDで30分間楽しく皆で踊れた。続いて住野アス香先生のピアノ演奏で「ひとりの小さな手」及び「今日の日はさようなら」の2曲を皆で大きな輪を作って先読みがあり全員で歌えた。
 最後にラストワルツを2曲踊ってもらった。
 集合写真を撮り、お開きとなった。ドボルザークの新世界から住野アス香先生に「家路」を弾いてもらい、みなニコニコと家路に向かった。

 謝礼を差し上げようとしたところ、「アンシェル・ヴィヴィエンダ(天使の住まい)」からは、ボランティアなのでとお断りされました。ありがとうございました。

写真1
写真1:小柴(右)と福井さん(左)。
福井さんは真っ赤な肩出しドレスを着ています。
写真2
写真2:小柴(右)と小林夫人(左)。
小林夫人はバラ模様の水色のドレスを着ています。
写真3
写真3:小柴(左)と金子夫人(右)。
金子夫人は紫色のフリルのついた黒いドレスを着ています。
写真4
写真4:小柴(右)と土屋さん(左)。
土屋さんはクリームイエローのドレスを着ています。
写真5
写真5:小柴(左)と村上さん(右)。
村上さんは黒いドレスを着て、スカートには大きな花柄が入っています。
写真6
写真6:小柴(右)と花井さん(左)。
花井さんは黄色の花柄で緑色のフリルのついたドレスを着ています。
写真7
写真7:小柴(右)と高木さん(左)。
高木さんは真っ青なドレスを着ています。
写真8
写真8:小柴(右)と石田リボンさん(左)。
写真9
写真9:小柴(左)と宮本ガイド(右)。
写真10
写真10:小柴(右)と中村ガイド(左)。
写真11
写真11:村上さん(左)と山口リボンさん(右)。
写真12
写真12:花井さん(左)と石山リボンさん(右)。
写真13
写真13:福井さん(左)と山口リボンさん(右)。
写真14
写真14:金子夫人(右)と鈴木リボンさん(左)。
写真15
写真15:金子さんと石山リボンさん(左)。
写真16
写真16:花井さん(左)と宇野リボンさん(右)。
写真17
写真17:金子夫人(左)と藤平リボンさん(右)。
写真18
写真18:金子夫人(右)と宇野リボンさん(左)。
写真19
写真19:金子さん(左)と小林夫人(右)。
写真20
写真20:小林さん(左)と石田リボンさん。
写真21
写真21:花井さん(右)と藤平リボンさん(左)。
写真22
写真22:福井さん(右)と藤平リボンさん(左)。
写真23
写真23:小林さん(右)と石山リボンさん(左)。
写真24
写真24:土屋さん(左)と藤平リボンさん(右)。
写真25
写真25:金子夫人(左)と石山リボンさん(右)。
写真26
写真26:高木さん(右)と鈴木リボンさん(左)。
写真27
写真27:土屋さん(左)と山口リボンさん(右)。
写真28
写真28:福井さん(左)と宇野リボンさん(右)。
写真29
写真29:金子夫人(右)と山口リボンさん(左)。
写真30
写真30:福井さん(左)と鈴木リボンさん(右)。
写真31
写真31:高木さん(右)と石山リボンさん(左)。
写真32
写真32:小林夫妻。
写真33
写真33:金子さん(右)と石山リボンさん(左)。
写真34
写真34:村上さん(左)と石山リボンさん(右)。
写真35
写真35:金子さん(右)と石田リボンさん(左)。
写真36
写真36:土屋さん(左)と宇野リボンさん(右)。
写真37
写真37:高木さん(左)と宇野リボンさん(右)。
写真38
写真38:花井さん(右)と鈴木リボンさん(左)。
写真39
写真39:金子夫妻。
写真40
写真40:小林夫人(右)と山口リボンさん(左)。
写真41
写真41:小林夫人(左)と藤平リボンさん(右)。
写真42
写真42:山口リボンさん(左)と中村ガイド(右)。
写真43
写真43:鈴木リボンさん(右)と中村ガイド(左)。
写真44
写真44:藤平リボンさん(左)と中村ガイド(右)。
写真45
写真45:宇野リボンさん(右)と中村ガイド(左)。
写真46
写真46:鈴木リボンさん(右)と石田リボンさん(左)。
写真47
写真47:宇野リボンさん(左)と村上さんのお嬢さん(右)。
写真48
写真48:「エーデルワイス」を歌う小林さん。
写真49
写真49:山形の「紅の舟唄」を歌う金子夫人。
写真50
写真50:「ホール・ニュー・ワールド」を歌う村上さん親子。
写真51
写真51:「知りたくないの」を歌う小柴。
写真52
写真52:「サン・トワ・マミー」を歌う高木さん。ピアノはガイドの中村さん。
写真53
写真53:高木さんの歌に乗ってルンバを踊る小柴(左)と石山リボン(右)さん。
写真54
写真54:ピアノを演奏する住野アス香 先生。
写真55
写真55:クラリネットの加藤晋哉 先生。曲は「愛の挨拶」「鳥の歌」。
写真56
写真56:皆で輪になり手を繋いで歌っている様子をステージから撮影。

写真左から 住野アス香先生のピアノ演奏、輪の左端から小柴、石山さん、
小林夫妻、花井さん、川田さん、宇野さん、中村さん、藤平さん、
高木さん、山口さんが写っています。

「ひとりの小さな手は」斉藤ガイドが声出しをしています。

♪ひとりの小さな目 何も見えないけど
それでもみんなの瞳で見つめれば 何か見える 何か見える♪
写真57
写真57:皆で輪になり手を繋いで歌っている様子を
ステージとは逆側の少し高い所から撮影。

ステージ側から左へ村上さん親子、高木ガイド、土屋さん、鈴木さん、
宮本さん、金子さん、石田さんが写っています。
「今日の日はさようなら」は小柴が声出しをしています。

♪いつまでも絶えることなく 友達でいよう 明日の日を夢見て 希望の道を♪
写真58
写真58:集合写真。

前列中央、小柴恭男、中央向かって右から住野アス香先生、花井さん、
小林夫人、小林薫さん。
中央向かって左から加藤晋哉先生、金子夫人、高木さん、土屋さん、村上さん。
後列左から、村上さんのお譲さん、山口リボンさん、ガイドの高木さん、
ガイドの中村さん、藤平リボンさん、ガイドの宮本さん、金子さん、
ガイドの斉藤さん、宇野リボンさん、石山リボンさん、
ガイドの川田さん、石田リボンさん、鈴木リボンさん。

視覚障害者には、腕輪(シュシュ)、リボンさんは長めのリボン、
ガイドには緑の丸バッジがついてます。

後ろの黄色い横断幕には
「港区で明るく共に楽しむ会 BLIND DANCE PARTY」と書かれています
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第6回目のコロナワクチンを接種

 5月20日(土曜日)、6回目のコロナワクチンを札ノ辻スクエアのワクチンセンターで接種した。
 帰りに港区民センターでスロベニア共和国大使館主催の世界ミツバチの日フェスタがあり、はちみつと赤ワインを少し賞味した。大使館の民族衣装のスロベニアの女性と写真を撮った。

写真1
写真1:スロベニアの民族衣装を着た女性(左)と記念撮影。
写真2
写真2:世界ミツバチの日フェスタのパフレット。
スロベニア共和国大使館主催と書かれています。
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代々木公園はバラの花が満開

 5月14日(日曜日)、アキレスの「エイド」が2年ぶり復活。久しぶりに多くの会員とお茶を飲んだ。
 昨日までの雨がやんで、少し肌寒いが曇り空で気分がよかった。少し雨が降ってきたので、早めに帰った。家に着いたら本降り。タイミングが良かった。

写真
写真:満開のバラ園にてしばらく。
写真撮影は青木マーくんです。
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三田川柳会総会開催

 5月6日(土曜日)、三田川柳会の総会を行った。東京都障害者福祉会館では、お酒が飲めないのでお茶で乾杯し会場でお弁当を食べた。会計報告予算案の承認、新役員が決定した。

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少し肌寒い代々木で走る

 4月23日(日曜日)、9時半集合、コロナがほとんど終結したので大勢のアキレス会員が集まって走った。

写真
写真:左から順に、千秋ちゃんママ、しばらく、ちあきちゃん、
ちあきちゃんの伴走者のアメリカニュージャージー州から来たタリーカさん。
写真撮影は青木マーくんです。
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かすみがうらマラソン2023に初参加

 4月16日(日曜日)、国際ブラインドマラソンを含め、約3,000人が参加した。
 品川始発の上野東京ラインに乗って、土浦で下車した。品川駅ではガラガラだったが下車時は満員でトイレに入るのが大変だった。
 元オリンピック選手で有名な有森裕子さんがゲートで歓迎してくれた。ボーイスカウトやその他大勢の観客に走行中たくさんの声援をもらった。フルマラソンのスタートの少しあとに、視覚障害者の5キロのコースに参加した。
 アキレスからの参加者は、きみたん、大御所、金さん、ムッチー、私の5人だった。私の伴走は久保さん、ムッチーの伴走は なおさんだった。なおさんは全ての視覚障害者のランナーのお手伝いをしてくれた。金さんは男子で1位、キミタンは女子で2位、大御所さんは女子の3位だった。少し遅れてムッチーさんは13人中8位、私は9位(1時間8分5秒)だった。
 でも、制限時間内に走れたため回収車に乗らなかったので、良かったと思っている。
 帰りはムッチーとなおさんとムッチーのガイドさんと私と久保さんの5人で、霞ヶ浦名物のハスカレーを昼食に食べた。生まれてはじめてハスカレーというものを食べてみた。本当はウナギにしようかと思ったが、高いのでやめた。
 この大会では、参加者全員に色々なおみやげをいただいた。醤油・バナナ・地元のお菓子・アームガード(腕カバー)・ミネラルウォーター・コーラのドリンクチケットもいただき、荷物がいっぱいになった。

写真1
写真1:走り終わった後にガイドの久保さんと一緒に記念撮影。
シャツの絵柄には伴走ロープで手を繋いでいる
男の子と女の子の絵が入っている。
デザイナーは田中ケイコさん(山口さんちのツトムくんのイラストレータさん)。
写真2
写真2:スタート前 小柴の背中が映っている。
着ている黄色のシャツの背中にはBlind Runnerと入っていて
四葉のクローバーのイラストが入っている。
デザインは同じく田中ケイコさん。

帽子についている缶バッチのデザインは南伸坊(みなみしんぼう)さんです。

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アキレスのあとキティに誘われてカラオケ

 4月9日(日曜日)急に暖かくなり、神宮前で軽く食事をしてカラオケをした。
 参加者はキティとウーちゃん、ギターさんとマキさん、タッキー、マー君と私の7名で3時間申し込んだが、すぐに歌う順番が回ってきて忙しかった。
 キティが高橋真理子の歌をたくさん上手に歌ったのには驚いた。

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新年度 三田川柳会開催

 4月1日(土曜日)、三田の障害者福祉会館で新入会員4名を含めて和やかな新年度の三田川柳会初会合を行った。
 新しくできた会則や名簿も配り、翌月5月6日に総会を開くことにした。

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伝統文化交流館の懇談会

 3月27日(月曜日)、港区の伝統文化交流館で、ボランティア団体登録の更新を行い、その足で懇談会に参加した。意見交換会では次のように提言した。

  1. こんなに素晴らしい会館があることをもっと世間の人にPRすべきだ。
  2. 田町の駅から館まで7分と案内には書いてあるが、たまたま都営浅草線の一番近い出口が工事中で閉鎖されていたので隣の出口に出ることになり道に迷ってしまった。第一京浜を西郷南洲(隆盛)・勝海舟の記念碑の角を右折すれば芝浦に行けるはずだが、見つからない。せめて標識を設置してほしい。
  3. JRを超えてモノレールを超えたところにも標識がない。3人ほどの帰宅途中のサラリーマンに聴いたが全員知らないという。新設の愛育病院のそばなので、ガイドに見つけてもらってそばに行ったがそこにも標識がなく間違って公園に入ってしまった。少なくとも港区道のはずだから標識は付けるべきだ。
  4. こんな昭和13年に建築の躯体をそのまま残してあり、擬宝珠(ぎぼし)などが残っているのは珍しいし、100畳敷きの畳で1段高いステージがあって緞帳(どんちょう)があるのも素晴らしい。江戸の世界に逆戻りできるステージがあるのだからもっとみなさんに知ってほしい。

意見を述べた後、みなさんから大きな拍手を頂いてうれしかった。

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すみだ会走行中止で障害者福祉会館での食事会に変更

 3月26日(日曜日)、村田ムッチーさん主催で行われる予定だった荒川河川敷の走行が中止になったので、急遽三田の障害者福祉会館で10時から懇談会をした。
 珍しい参加者として、ちあきちゃんとちあきママ、木村さん、ビッグワンさんがいた。
 私が下手なウクレレを披露した。

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沈丁花の香りを楽しむ

 2月27日(月曜日)、久しぶりに朝から風もなく天気も良く気持ちの良い日差しです。
 午前中、目黒まで歩いてゴム印をいくつか買いました。そのついでに東急ストア2階の100円ショップでリンク式ファイル、二つ穴パンチ、領収書、スタンプ台を買いました。100円ショップでは考えられないほど安く売っていますね。
 午後自宅に帰り、沈丁花の香りを嗅ぎました。数日前より、梅から香り替えです。視覚障害者は香りで花を想像します。もう少し経つと、クチナシの花が咲くと思います。

写真1
写真1:沈丁花が淡紅色の手鞠のように咲いています。
写真2
写真2:沈丁花の花びらをアップで撮影しました。
鮮やかな濃紅色の蕾が集まっています。
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本所吾妻橋から隅田川の河川敷を歩く

 2月23日(木曜日)、視覚障害者の集まりで本所吾妻橋から隅田川の河川敷を歩きました。皆さん健脚で落ちこぼれでしたが、天候に恵まれて暖かく、久保三智代ガイドのおかげで、気持ちよく楽しく歩けました。私ははじめて浅草線で降りたことのない、本所吾妻橋で降りました。これで全線各駅に降りたことになります。とても賑やかな町で、近くに大きな隅田公園があり、たくさんの人が出ていました。私は川沿いの遊歩道を吾妻橋までゆっくり歩いて帰ってきました。
 スカイツリーが背面にそびえたっている所で記念写真を撮りました。こんなに間近に見えてびっくりした。まだ私はスカイツリーに登ったことはありません。東京タワーの時は、開業1ヶ月後に登りました。歳ですね。

写真
写真:スカイツリーが背面にそびえたっている場所で記念撮影。
左、小柴。右、久保三智代ガイド。
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麻布区民センターホールにてボランティア団体活動発表・交流会

 1月28日(土曜日)に港区の麻布区民センターホールにてボランティア団体活動発表・交流会が開催された。
 ようやくコロナも一息つき、100名ほどの方が参加されにぎやかな会になった。
 第一部はそれぞれの活動発表を一団体持ち時間8分でみなさまにお伝えした。

 第二部では、各ボランティア団体同士や、ボランティア活動に興味を持たれているご来場の皆様から質問を受ける場になり、西村さんがご来場者の方に小柴との出会いやどのようにしてボランティアに携わるようになったのかを聞かれたので、お答えした。

 この発表会の前に食べに行った、六本木の「つるとんたん」のおうどんがとてもおいしくて元気いっぱいで発表できた。

写真1
写真1:ステージで白杖を片手に活動発表を行う小柴。
背後には「ボランティア団体発表・交流会」と書かれています。
写真2
写真2:質問を受けてマイクを片手に回答する西村さん(中央奥)。
写真3
写真3:ステージの全景。手話通訳のかたを含めて、
合計13名が間隔を空けて並んでいます。
写真4
写真4:六本木の「つるとんたん」でうどんを食べる小柴。
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クリスマスダンスパーティの動画を追加しました

 西村さんにお願いして、昨年のクリスマスダンスパーティの動画をアップしました。
 こちらのリンクからご覧ください。
 (前回の写真の記事からも飛べるようになっています)

 西村さんの司会や、みなさんの踊っている動画が楽団の音楽とともにきけます。
 「あわてんぼうのサンタクロース」で視覚障害者の皆さんがハンドベルを鳴らしました。最後に村上さんのお嬢さんが「メリークリスマス!」と歌いながらサンタの衣装で踊っています。
 笹原さんと村上さんが広い会場でダンスを踊っていました。

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主見えない 春な 忘れそ

 2月18日(土曜日)、快晴。今年も紅白の梅が満開になりました。
 東風吹かば にほひ起こせよ 梅の花……。
 
 2月4日の第一土曜日には、三田川柳会で視覚障害者の皆様に、我が家の庭の梅を手折ってお持ちし、香りを楽しんで頂きました。

写真1
写真1:手前が紅梅(ベニチドリ)、奥が白梅(シロカガ)。
それぞれ紅白に咲き誇っています。
写真2
写真2:紅梅(ベニチドリ)をアップで撮影しました。
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新しい渋谷駅のホームにすぐ行きました

 1月7日(土曜日)、8日(日曜日)は渋谷駅の工事の為、かなりの山手線が運行を中止しました。渋谷駅が綺麗になったので、1月9日(月曜日)に現地を見に行きました。
 今回の工事では、山手線の内回りホームを最大16メートルに拡幅したうえで外回り線路を西側(内回りホーム側)に2.3メートル横移動。これにより、内回りホームへ山手線ホームが一本化(1面2線化)。旧・外回りホームは廃止となりました。

写真1
写真1:山手線内回り2番線の電車がホームに停車中。
小柴がホームの中央で白杖を伸ばしてホームの幅の間隔をみています。
写真2
写真2:以前使われていた外回りホーム(原宿、新宿方面)。
今は誰もいなくて工事の道具が置いてあります。
井の頭線や地下鉄に乗り換える時、便利でした。
将来、駅のショップになると聞いています。
写真3
写真3:新しいホームで外回りの先頭車両を写しています。
ハチ公広場への降り口のそばです。
写真4
写真4:構内の案内図を写しています。
右矢印はハチ公改札、左矢印は中央改札、南改札、
銀座線、井の頭線、新南改札,埼京線、湘南新宿ライン
写真5
写真5:停車している山手線内回りの先頭を写したかったのですが、
警備員に整備が整っていないので入らないでくださいと言われ
1両目の途中から写しました。天井は鉄骨が格子状になり
雨が降っても採光の取れる特殊構造で明るいです。

@ 高輪ゲートウェイが新設された時。
A 東京駅の内部が綺麗になった時。
B 品川駅の2番ホームが廃止されて3番ホームとなり京浜東北線の乗換えが便利になった時。
C 原宿駅の1番ホームがお正月しか使われていなかった明治神宮側のホームに移った時。
D 恵比寿駅が大改造されて埼京線が止まった時。

 全部、目が見えなくても改善された駅のホームを見に行きました。
 父親が高等小学校(中学2年)卒業し、独身時代鉄道院(現JR)大宮工機に入社し蒸気機関車の整備をしていたので、その遺伝のせいか私は今でも鉄道のファンです。

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代々木公園は河津桜(カワヅザクラ)が満開

 2月12日(日曜日)、代々木公園を2周歩いた。金曜日の雪の後、急に暖かくなり、三寒四温だ。アキレスの参加者やエイドの千秋ママたちからチョコをもらった。今年二人目。昔はたくさんもらったが……。
 河津桜(カワヅザクラ)の前で、長い間ボランティアで、視覚障害者の伴走をしてくださっている「なおさん」と写真をとった。二人あわせて170歳。
 13年前、荻窪駅前に東南アジアの小物のお店があって、少し買ったのを思い出した。仙台のレトルトカレーも津波で売れなくなり、お店に置いてあった。視覚障害者の作ったタオルをアキレス15周年の記念品として買ったのを思い出した。
 午後からは一人で有楽町へ行き、「かんたんスマホ」を触ってきた。使えるかな?

写真1
写真1:左、青木マーくん。右、しばらく。
後ろに河津桜(カワヅザクラ)が咲いています。
写真2
写真2:左、アキレスで視覚障害者の伴走をしてくださっている
「なおさん」と、河津桜(カワヅザクラ)の前で記念撮影。
右、しばらく。写真撮影は青木マーくんです。
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今年は春から縁起が良いや

 1月19日(木曜日)、東京鉄鋼Cグループ会を、木更津の料亭で行った。
 京浜島から湾岸道路を通って45分で到着。芸者の踊りや正月の端唄を披露してもらったので、酒と肴が進んだ。私も下手な端唄を歌った。
 梅は咲いたか 桜はまだ買いな♪
 三味線で盛り上がりました。当日遅くに自宅に帰った。

写真
写真:木更津の料亭で端唄を歌う小柴(左)。
芸者さん(右)が三味線を弾いています。
背後には金色の屏風が立てられています。
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港区役所と増上寺

 2月2日(木曜日)、地下鉄の大門(だいもん)駅から芝公園にある増上寺にお参りに出かけた。翌日は節分で大変混雑する事でしょう。安部元総理のお葬式がありましたね。私の父も52年前に葬儀をしたことを思い出した。
 その後、芝公園の中の港区役所の生涯福祉係のところで借りていたスマートフォンを返却した。なかなか視覚障害者では操作が難しく、継続できるか、全盲で91歳では大変だ。
 帰りは町まで歩き、大森から会社に出かけた。節分の豆を少しずつ、社員に配った。

写真1
写真1:増上寺の大門(だいもん)にて、白杖を片手に立つ小柴。
背後の白幕には葵の御紋が染められています。
写真2
写真2:増上寺の境内にて、大島ガイド(右)と小柴。
背後には東京タワーがそびえ立っています。
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横浜中華街で新年を迎えました

 年末年始に、ローズホテル横浜に2泊しました。賑やかな中華街の爆竹の大きな音と、港に停泊している船からの汽笛で、新年を迎えました。初春を迎えての朝食が中華だったのは、人生で初めてでした。
 思い出の多い横浜港で、日本郵船の大型客船・氷川丸にも乗りました。この船は氷川神社から名前をいただいており、現役を引退した現在は山下公園に係留されています。
 そのあと横浜市内の観光付きの周遊バス「あかいくつ」で、大桟橋からレンガ倉庫・その他の観光地をガイドの放送付きで回り、再び中華街に戻ったあとは、昔懐かしい華正樓(かせいろ)で夕食を取りました。私の母系の祖父が横浜に住んでおり、その頃の椅子やテーブルが今も使われていたようで、私が小学生の頃を思い出しました。当時はシナ料理と言われ、大東亜戦争の前でした(戦後、太平洋戦争と名前が変わりました)。お土産には月餅を買いました。
 その後は中華街にある三国志で有名な関羽の聖堂「関帝廟(かんていびょう)」を見学。
 沢山の中華料理を食べて帰宅後、送られてきた関西の丸餅と関東の尻餅でお雑煮を食べました。

写真1
写真1:中華街の華正樓(かせいろ)にて家族とテーブルを囲んで。
左下から時計回りに筆者、長女の裕子、長男の智延、妻の淑子。
写真2
写真2:横浜みなとみらいを背景に新年の記念撮影。
左から筆者、裕子、淑子。撮影は智延。
桟橋の奥にランドマークタワー、観覧車、赤レンガ倉庫が見えます。
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2023年歩き始め

 1月8日(日曜日)、今年最初の散歩コースは、都立科博自然教育園から目黒別宅から高輪台(昼食)帰宅、およそ4.8キロでした。
 前日は三田川柳会でした。体重が2キログラム増えました。減らすのが大変です。

写真1
写真1:『自然教育園 見ごろ情報』新春号のパンフレット。
地図に合わせて樹木や花の解説が書かれています。
写真2
写真2:自然教育園の遊歩道にて、白杖を持った小柴。
写真3
写真3:「都市に残された自然をいつまでも大切に」と書かれた
看板の前で記念撮影をする小柴。

※ 2022年12月以前の記事は「昨年までの情報」をご覧下さい。


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