昨年までの情報
三田用水と今里地蔵(2021年1月11日)
自宅に掲示している地図を更新するために近くを歩いて撮影しました。
撮影は西村さんです。
写真1:三田用水の跡地を示す案内板の前にて、小柴。
三田用水路跡
三田上水は、江戸市街の拡大で増加した水の需要に応じるため、寛文四年(一六六四)に玉川上水の水を下北沢で分水したものです。
中村八郎右衛門・磯野助六によって開かれたといわれ、代田、代々木、渋谷、目黒を経て現在の白金台、高輪、三田、芝地区に配水されました。享保七年(一七七二)に学者室鳩巣の意見で本所(亀有)、青山、千川の各上水とともに廃止され、江戸の街を潤す水道は玉川、神田の両上水だけとなりました。しかし、三田上水は流域の村々の農業用水でもあったので、嘆願して廃止の翌々年から再び水を引くことを許され、三田用水と呼 ばれて一宿十三ヵ村の用水として使用されました。
当時の水道は自然に流れるだけでしたので、この付近では堤状に水路を残して通す工夫をしました。ほとんど失われてしまった三田用水路の貴重な遺構は、特に断面がわかるように残されています。また、水路の通っていた位置を示すための色違いのタイルを地上に並べて記念としています。
昭和五十七年三月設置(平成十九年二月立替)
港区教育委員会
管理 ハイクレスト白金台管理組合
写真2:今里地蔵の前にて、小柴。
現在、私の住居は港区白金台2丁目ですが、これは戦後改名されたもので、それまでは白金今里町と言われていました。現在の町内会は「今里町会」と呼ばれており、そこにあるお地蔵さんです。
ここは政府公認の食肉処理場があり、そのお肉を扱っていた相澤半太郎さんという方が開いたお店が、現在の浅草と人形町にある「今半」となったというお話しがあります。
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