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昨年までの情報

連泊でのんびり?京都で祝い膳(2022年1月1日)

 元旦と二日はおせち料理を作る手間を省いて、のんびりと京都旅行を計画しました。

写真1
写真1:お祝い膳。
写真2
写真2:お正月膳。
写真3
写真3:メニュー。
写真4
写真4:家族全員でお祝い膳。

 新幹線で出発し、名古屋から先は雪で京都には40分遅れで到着しました。一面の銀世界でびっくり。元旦と二日の朝食にホテルのお祝い膳を予約していましたが、予定時刻に到着したのに40分待ちでびっくりしました。
 元日は、宇治の平等院をめざし歩いていきましたが、宇治駅から平等院までの参道はほとんどのお店が閉まっていて静かな商店街でした。創業何百年というお茶屋さんがたくさん並んでいました。長い行列で入場券を買い、平等院の全景が見えるところで記念撮影をしました。

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写真5:平等院。
写真6
写真6:平等院。

 宇治の平等院は10円玉の絵柄の通りだったそうです。鳳凰が描かれている昔の100円銀貨を、今もまだ大事に保管してあります。
 帰りは裏山に上り、浄土院の鐘の前で新たな風景で記念写真を撮りました。結構な山道でした。

写真7
写真7:浄土院の鐘の前で。
写真8
写真8:浄土院の本殿の前で。
写真9
写真9:浄土院の説明書き。

 浄土院

 浄土院は平等院の塔頭(たっちゅう)で、浄土宗の栄久(えいく)上人が、明応年間(十五世紀後半)に平等院修復の為に開創した寺と伝わり、「都名所絵図」には「平等院奥院」「浄閣」などと示されている。江戸時代には養林庵や知学庵など浄土宗の子院が鳳凰堂西南を中心に多数存した。浄土院には平等院に関係する多くの文化財が残されている。そのうち、養林庵書院(重要文化財)は桃山城の遺構と伝えられ、障壁画は、床の間の図が雪景山水図、襖は籬(まがき)に梅図(うめず)、天袋(てんぶくろ)は花卉図(かきず)で構成され、作者は、その作風から狩野山雪と考えられ、京狩野の代表的作家の特色を著した作品として、その価値は極めて高い。

 また京都府指定文化財として平等院修造勧進状一巻・平等院旧起二巻、細川三斎作庭と伝わる養林庵書院庭園があり、宇治市指定文化財として木造帝釈天立像(平安時代後期)、木造阿弥陀如来立像(鎌倉時代後期〜南北朝時代)、和漢朗詠集登下断簡〔平等院切〕(平安時代末期)がある。

 帝釈天立像は、やさしい着衣にやや重い感じを付加され、程よい量感のなかで、少年相の清純な感じの相貌や、浅く柔らかな衣紋(えもん)表現に、十世紀から十一世紀前半にかけて活躍した、仏師康尚(こうしょう)(定朝の師)の特色がはっきりと滲みでている。阿弥陀如来立像は、ヒノキ材を用いた寄木造りの堂々たる大作の像で、両手首先から台座を含めて当初のまま残っている。うつむきぎみの頭部、生々しい感触を持つ指先などに当代の特色がよく示されている。

 和漢朗詠集巻下断簡は、巻下雑部のうち、禁中・古京の全文十五行文である。古来筆者を源頼政(一一〇五〜一一八〇)と伝え、平等院切という名称も頼政との関係で付されたと思われる。本稿は平等院切の中でも、全十五行文の断簡として大きく、古筆研究はもとより、国文研究などの資料としても貴重である。

 また、古図によると平等院山内で最も古い書院として大書院(非公開)があり、蘭香斎玉寶の獅子図四面や後醍醐天皇が三種の神器を納め平等院に逗留したと伝えられる御座所などが残されている。


 山を下り、茶そばのお店に入り、宇治川を渡って宇治神社に参詣しました。宇治川を渡るのに、土手に上がり土手を降り、橋のところへ上がり橋を降りと結構な起伏があり、大変でした。途中、宇治川の合戦の記念碑がありました。

写真10
写真10:宇治川先陣の碑。

 今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に出てきそうですね。


 宇治川の戦い(うじがわのたたかい)は、平安時代末期の寿永3年(1184年)1月に源義仲と鎌倉の源頼朝から派遣された源範頼、源義経とで戦われた合戦。義経軍は矢が降り注ぐ中を宇治川に乗り入れる。佐々木高綱と梶原景季の「宇治川の先陣争い」はこの時のことである。(※Wikipediaより引用)


 宇治神社の階段は長い行列でした。二つの世界遺産を一日で見てしまうのですから大変疲れました。帰りは京阪電鉄でくたくたに疲れて帰りました。
 2日目は京都の有名な伏見稲荷を参詣しました。全国のお稲荷様の総元締めだそうで、一度はお参りしたいと思って全力で千本鳥居をくぐりました。

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写真11:伏見稲荷の狛狐の前で。
写真12
写真12:千本鳥居の前で。
写真13
写真13:千本鳥居の前で。
写真14
写真14:千本鳥居を一所懸命くぐる。

 伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は、京都市伏見区深草にある神社。旧称は「稲荷神社」。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とする。全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社である。初詣では近畿地方の社寺で最多の参拝者を集める。稲荷神は元来、五穀豊穣を司る神であったが、時代が下って、商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達の守護神としても信仰されるようになった。(※Wikipediaより引用)


 階段の段差が平均で無く、手すりもないので、奥の院まで人波に押されていってしまいました。東京の明治神宮の混み方ぐらいかと思ったらとんでもない、日本一の参詣者の数ではないでしょうか!私たちは初めての参詣でビックリしました。駅から1の鳥居まではたくさんのお店が出ていました。途中たくさんのきつねさんに笑われました。
 各地から送られたご神酒をはじめ各地の野菜やお米が隙間なく飾ってあり、私の故郷の下仁田ネギまであったのにはびっくりしました。記念に、きつねさんのついている鈴のお守りと商売繁盛の木製のおふだを頂いてまいりました。今年はきっと何かいいことがあるかも!?

写真15
写真15:伏見稲荷奥ノ院。
写真16
写真16:家内と一緒に。

 奥の院の先でトイレはここまでですと言われその先2時間は登れないので、山道を下って途中でお抹茶とお菓子を頂き、初めて座りました。3時間も山道を歩くと足腰がおかしくなりますね。
 京都の駅で2時過ぎに炊き立てごはんのお店でお漬物の食べ放題を食べて、帰路の新幹線でぐったり寝てしまいました。おみやげは全く買えませんでした。


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