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昨年までの情報

みちのく一人旅(2014年7月4日)

岩手県奥州市の千葉忠男さんは、日本点字図書館が毎月発行している「日点デイジーマガジン」での小野前館長との対談の内容が面白かったというメールをくださった人だ。自分史の1巻と2巻のデイジー版を送ってさしあげたところ感激され、メールのやり取りが始まった。

その後、「アントニオ古賀のコンサート」の案内を、当ホームページに載せたところ、わざわざ奥様とご一緒に上京され、コンサートをご覧になってくださった。その様子は、ケーブルテレビの中でも放映されている。

年が変わって「暖かくなったら岩手にも来てよ」と誘われ、今回の「みちのく一人旅」となった。

目黒駅までバスで行き、JRの改札口から駅員に頼んでホームに降り、一人で山手線東京駅に向かい、そこでまた駅員が新幹線のホーム、そして座席まで誘導してくれた。トイレや下車駅である一関で降りるのが便利なように、出口に近い席に座った。

菊池直美さんと千葉さんとの写真

一関駅の改札口に、千葉さんがガイドヘルパーさんと迎えにきてくれた。感激の再会だった。3日間の快適な旅で、「ブラインドドリーム 視覚障害者支援施設」代表の菊池直美さんとお会いした。

菊池さんから、岩手県に日本網膜色素変性症協会(JRPS)の支部を立ち上げた話や、3年前の大震災のおり、視覚障害者が一般の人たちの中で、いわば放置状態だったと言う話を聞いた。

  • 避難所では、車いすの人は別室が用意されていたが、視覚障害者は体育館の中で大勢の人たちと一緒だった。
  • 体育館の外にあるトイレに行くのも、所狭しと寝転んでいる人たちの間を通らなくてはならなかった。
  • 食事や避難物資の配布の案内も、掲示板に表示されるだけだったので、さっぱりわからなかった。
  • 仮設住宅に入居してからの視覚障害者ならではの悩みも数多くあり、ノイローゼになりそうな状態の人が多かった。

菊池さんたちのグループは、これらの人たちに手を差し伸べるべく苦労したと聞いた。そして、視覚障害者を何とかしなくてはと、NPO法人を立ち上げた。それまで勤めていた眼科医院にいれば得られただろう安定した収入と年金を捨ててまでそうさせた菊池さんの思いに、目頭が熱くなった。

千葉さんは、フルマラソンにも数十回参加され、偶然にも私が数年前に参加した青島マラソンにもフルマラソンで参加していた。

70歳を過ぎてからの中途失明だが、点字を勉強する環境が悪いのに、2年間で点字が読めるようになり、ご一緒に行ったカラオケでは、ふところからカラオケの歌詞を取り出し、メロディに遅れず堂々たる歌唱力を披露されたのにはビックリした。

何を隠そう私も日点から借りたCD付きの点字自習書で3か月勉強したが、頭の中に全ての文字が入っていて1文字だけならわかるものの、点字の文字が2つ3つと打ってあると、隣の文字と感触が一緒になってしまって読解できなくなる。ポツンポツンと書いてあるなら何とか判読できるのだが、現実はなかなか厳しい。指先の感覚も悪く、周りの人も70歳過ぎての点字習得は無理ですよとなだめてくれていたので諦めていたのだが、目を覚まされた思いがした。

千葉さんがダンスの先生と踊っている写真1  千葉さんがダンスの先生と踊っている写真2

千葉さんとの共通の趣味には社交ダンスもあった。「これから僕の通っている先生との教室を予約してあるから小柴さんも踊りましょう」と誘われ、二人でダンスの先生を独占した。千葉さんは、ワルツとタンゴが得意で、デモンストレーションもしたことがあると言っておられた。

小柴がダンスの先生と踊っている写真1  小柴がダンスの先生と踊っている写真2

マラソン、ダンス、カラオケと、こうまで趣味が共通していたのには驚いた。点字だけは完敗したが、乾杯のほうだけは負けなかった。


菊池直美さんから、メールが届きました。

設立の経緯

きっかけは、東日本大震災です。

私は、震災直後ボランティア活動に参加した際に、視覚障害の方々が甚だしく過酷な状況に置かれ、避難所や仮説住宅での生活は想像を絶する困難を強いられていたことに驚きました。

津波や震災で日常生活用具を無くしたのではなく、そもそも手帳の交付すらされてなく、公的支援を受けてない方が多くおられたからです。「視覚障害イコール情報障害」だと痛感した私は、まずは情報提供だけでもしたいと思い動き始めました。

ただ「視覚障害者への情報提供をどの様に進めるか?」。この様な取り組みは、医療関係者、市町村が取り組むべき課題だと人ごとに思っておりました。しかし、震災後ただただ時間が経過し2年が過ぎてしまいました。

被災地では今、震災関連死が大きな問題となっております。町も家族も財産も何もかも全部なくなってしまった今、どうか夢(生き方)を見失うことなく生きていける環境を急いで作らなければと思う様になりました。

そこで私は、社会資源の活用と視覚障害者の利便性を高める様々な講座に参加し、知識を深めると同時に機会がある度に個人や関係する団体に岩手の現状を訴え、理解を求め賛同を促しました。

結果、協力してくれる多数の賛同者と出会い、コーディネーターの育成と受け入れ先となる拠点(特定非営利活動法人(予定)ブラインド・ドリーム)を設立することができました。

しかし、岩手県における視覚障害者リハビリテーションにかかわる状況は、まだ一歩にすぎません。今後は、岩手の社会資源を使ってどの様に進めていったらよいのか、模索中です。

視覚障害者を取り巻く環境や、支援する側の環境も、地域によって大きく異なりますが、皆様からのご意見や、ご指導をいただきながら、一刻も早く当事者に適切な情報を届けたいと思っています。

ブラインド・ドリーム」のホームページを紹介します。まだ未完成ですが、ご覧いただければ幸いです。

特定非営利活動法人(予定)ブラインドドリーム

視覚障がい者支援施設 代表 菊池直美


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